25歳の時にリラクゼーションセラピストの仕事を始めて
今年で18年。
印刷会社での激務でカラダを壊し、
リラクゼーションの世界に飛び込んだ時は
こんなに夢中になれる仕事だと思いませんでした。

リラクゼーションを選んだきっかけは、
弱肉強食のような前職に疲れたので、
癒しの職場で働いてみたいなという想いがあったこと。
一番大きい理由は
「苦手なものを克服したい、得意になりたい」
でした。
人とコミュニケーションをとることに苦手意識があり、
一対一のやり取りのリラクゼーションの世界なら、
嫌でも得意になっていくんじゃないかな?と思ったんです。
今ならわかるのですが、
苦手だったのは人とのコミュニケーションじゃなく
「自分の気持ちを言葉で相手に伝えること」
自分の気持ちを言葉で伝えられるようになるには、
かなりの時間がかかりました。
セラピストになって出会った人たちのおかげで
今は気持ちをブログにかけるぐらいまでになりました。
どんな18年だったのか、
セラピストになりたい人の参考になったり
セラピストって愛があるお仕事だなと
知ってもらえたら嬉しいです。
初めてのリラクゼーション|お客さんとして通っていたお店に勤務
私が初めて働いたのが、
埼玉県川口市のO2ビーナス(オーツービーナス)という酸素バーがある
リラクゼーションのお店でした。(今はReRaKu|リラク)
リフレクソロジーと、ボディケア、そして酸素バー。
池袋の研修所でリフレクソロジー、ボディケアを習って
1ヶ月ほどしたら現場へ。
私が初めに好きになったのは、接客よりも
施術そのものでした。
初めてお客様にボディケアをした時に
ぐーーぐーーとイビキをかいて眠っている姿を見て
心底ほっとしました。
私自身、カラダを壊しやすく
高校生の頃から整骨院に通っていました。
高校から、印刷会社時代を含め
接骨院、整形外科、
カイロ、内科、耳鼻科など色んな病院に通いました。
流行りの健康法も、片っ端から試したけれど
思うような効果は得られず。
名前のつかない未病を抱える辛さを味わってきました。
ずっと訳が分からなかった
この症状はどうして起きるんだろう?
どうして楽にならないんだろう?
そう疑問に思っていたことに
勉強すればするほど理解が深まっていく感覚。
そしてお客様にその経験と知識、技術が還元できる喜び。
仕事と勉強が楽しくて、仕方がない日々でした。
気がついたら、毎月3〜5回は研修所に行っていました。
20代の記憶は仕事と勉強でほとんど埋まっています。
楽しい中でも、
お店で働きながら焦りもありました。
私以外のスタッフが、最低でも1年。
最長で3年勤務のスタッフばかり。
そのスタッフが担当したお客様に、
まだ働いて1年未満の自分が施術する。
必死でした。
「休みの日も施術の勉強をしないと、追いつけない」
ベテランスタッフに囲まれる日々は
焦りもありましたが
勉強するモチベーションにもなりました。
お店では当時、アロマオイルも使用して
リフレクソロジーをしていたこと。
高濃度の酸素にアロマで香りをつけていたことで
アロマの基本的な知識が必要に迫られました。
私は自分を追い込むために、
5ヶ月後に行われるアロマ検定1級試験に申し込みました。
通常は2級から受けるようなのですが、
「1級に受かれば、2級いらないよね」と、
いきなり1級にチャレンジ。
休憩時間にテキストで勉強する日々。
一番苦労したのは、効果効能を覚えることではなくて、
香りを覚えること。
前職の印刷会社では、
インクも多かったので
あまり長い時間嗅いでいると
気分が悪くなるものもありました。
鼻で息することを極力封印して、
口で呼吸しながら過ごしすぎたせいで
アロマの匂いがほぼ嗅ぎ分けられなかったんです。
座学で点数取るしかないと必死。
おかげでお客様に
「この香りって、どんな効果があるの?」
「こういう疲れにはどのアロマがおすすめですか?」
そう聞かれても答えて対応できるようになっていました。
「お客様に聞かれて答えられないのが
怖すぎる!
申し訳なさすぎる!」
そんな恐怖が勉強のモチベーションになり、
知識は恐怖を大きく減らしてくれます。
アロマ検定を受けたことのある友人のアドバイスも幸いして
試験は無事に合格。
この世界に入って、初めての検定合格。
合格の賞状が届いた時は、嬉しかったことを覚えています。
知識の恐怖は減ってきたとはいえ、
一番は接客。
幸いだったのは、
一緒に働いていたスタッフがみんないい人で
人間性が素晴らしい人ばかりだったこと。
何度もフォローしてもらいました。
カーテンで仕切られた個室だったので
他のスタッフの会話も聞こえやすく
どんなふうに対応して、お話ししているのかを
メモをとって参考にしていました。
内心、一番驚いたのが
一緒に働くスタッフのこの言葉
「私は人が好きだから、この仕事を選んだんだ」
人が好きだと思ったことがない私には
衝撃でした。
同時に、なんて素敵な考えなんだろうと
尊敬したのを覚えています。
初めに働いたお店が、
このお店で良かったと今でも心から思っています。
その後、当時の店長が会社を辞めることになり
社員が私1人だったため、
私が店長をする流れになりました。
当時に店長とオーナーに頼まれたので、
わけもわからず、ひとまずやってみたのですが。
店長になって、こんなにも大変なんだと理解した時には
呼吸の仕方を忘れるくらいのプレッシャーと
不安に押しつぶされそうになる日々の始まりでした。
店長になってみて実感したこと|もっと成長したい
息ってどうやってするんだっけ?
意識しないと息ができないような日が
店長になって毎日続きました。
数字をどうやってみていいか分からず、
教わってもすぐには理解できない。
提出する書類が多い。
来月する施策も考えないと。
やる事も考える事も多く、毎日必死でした。
セラピストになってから10ヶ月余りで、
セラピストとしても未熟。
スタッフに少しの優しさをかけられるだけでも
いっぱいいっぱいで余裕がない私には大きく沁みて
泣いてしまいました。
店長のネームプレートを、重く感じました。
不甲斐なくて、未熟で。
けれど、スタッフとお店は愛していた。
だからこそ
貢献できない申し訳なさで一杯になり
自分さえここにいなければ、
もっといい人が店長になって
みんなを守ってくれたかも知れない。
自分がいなければ。
そう考えるようになっていきました。
それと同時に。
セラピストとしても、
もっと成長したいという欲がありました。
そんな時期に、
会社で始まった勉強会のお知らせを発見。
解剖学、病理学、生理学。
月に2回1年を通しての学習。
鍼灸の学校で教わる3年分の知識を1年に凝縮したもの。
講師は当時、別のお店のオーナーで
鍼灸、あんまの資格を持っている先生。
ありがたいことに、必要なのは教科書代と
交通費だけ。
私はすぐさま申し込みました。
喉から手が出るくらい欲しい知識を学べる場所がある。
それは当時、店長として一杯一杯だった自分を救ってくれました。
目的地がないと辿り着けない|漂流しながら辿り着いた答え
今思う、私が店長として足りなかったこと。
それは、お店が辿り着きたい目的地を決められなかったことです。
パワースポットのようなお店になったらいいな。
スタッフの頑張りが報われてほしいな。
気持ちだけあっても、やんわりと売上は停滞していきました。
私はセラピストとして施術と勉強ができて
それがお客様に還元されれば良いと思っていたので
店長として、スタッフとお店を連れていきたい目的地を
明確にできませんでした。
日々は過ごせるけれど、
お店という名前の船は漂流状態。
セラピストとしての技術と知識の勉強と同時に、
マネジメントの勉強もしていくと
自分ができていないことがハッキリする日々。
知識は深まるけれど、行動は空まわり。
そもそも「みんなで」成し遂げたいことがない。
私は店長に向いていない人間だとつくづく実感していました。
その後、もっとセラピストとして成長したい思いが消えず
愛していたスタッフを残し、お店を辞めて
他店に移動しました。
移動先でも苦労は多くありましたが、
飛び出して勉強できる場に行ったことに後悔はありません。
勉強がしたくて他店に移動したのは、
当時の余裕がない私がした
精一杯自分勝手でわがままな選択でした。
自分に自信が全くなかったことも
自分がいなくなっても大したことないと思い
わがままを決行した要因でした。
自分を大切にしないことは、
周りも傷つけることに繋がる。
セラピストという仕事を選ぶ優しい人たちなら、尚更。
今はそう思います。
店長になって良かったこと|セラピストとして生きたいと願ったこと
店長を経験したからこそ
どんなふうに生きていきたいかが明確になりました。
私は、セラピストとして働いて生きることができるのが
喜びなんだと。
初めて一緒に働かせてもらえた川口前川店のスタッフと
その後移動した品川港南口店のお店で
一緒に働くことができたメンバー。
関わった店長、お客様。
全てに育ててもらいました。
店長をして、マネジメントの勉強をして良かったことは
みんな同じように悩んで苦しんで、
良い方向に舵を切ろうと頑張る同じ人間なんだと思えたことです。
店長になると、
人間ではなく「店長」という肩書きの生き物としてみられることが
少なくありません。
同じ人間。
休憩がなければお腹が空く。
動けば疲れる。
休まなければ眠い。
報われたら嬉しい。
どれだけスタッフとお店に愛情を持っているか。
売上を自ら下げたい人なんて、いない。
みんなもがいて泥臭く頑張っている。
それを身をもって知れたこと。
その後の人生の財産です。
この会社に入って辞めるまでに過ごした時間は約5年半。
セラピストとして鍛えて育ててもらえた5年半。
一番学んだことは
『自分以外の仲間をどれだけ想えるか』
散々悩んで、迷惑をかけて
学ばせてもらいました。
その後、他のお店で働いた時も
変わらなかったのは
お客様ファーストではなく、
「スタッフファースト」
会社から見たら、
それは間違ってるよ。
お客様あってこそだよと言われるかも知れないけれど
間違ってたとしても、
私の中で優先したい気持ちです。
この気持ちがあるから、
個人で施術をするようになった今も
「家族ファースト」
そんな働き方を選んでいる気もします。
仕事は大好きですが、
大事な人と自分があるから働ける、頑張れる。
がむしゃらに働いた印刷会社時代。
お金を稼げても、病院通いやストレスケアが多く
幸せは感じられない状態でした。
リラクゼーションの仕事に出会えて、
幸福度は大幅に上がっています。
おばあちゃんになっても、
セラピストでいれたら嬉しいです。
今回は書ききれなかったので、
個人で施術をするようになるまでと、
今の旦那と出会ったタイ古式のお店の話はまた次回。

ナンシーと名付けてくれたまゆぴーからのメッセージ。
「人生は冒険。何もせずにはいられない。気楽にやってみなよ、ナンシー」
スタッフからもらった寄せ書きなども今も大切に持っています。
【ちょっと小話】
5年半勤めたお店を辞める時に電話がお店にかかってきて
「永井さん(旧姓)の施術を受けて、
この会社のオーナーとして加盟しようと決めたんですよ」と
以前お店に来てくれた男性から連絡がありました。
私が辞める日に。
なんか、申し訳ないやら、恐縮するやらでした。
今でも元気かなとたまに思います。
そして今でも会いたいのは、スタッフはもちろんですが
当時施術をさせてもらっていたお客様。
今ならもっと、できることがあるかも知れない。
寄り添えるかも知れない。
今でも奈良から心より健康と幸福を願っています。
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