「日本の、私の娘」と紹介してくれたオーストラリアの家族の話|高校生の時の短期留学

高校生の時、
学校で行われた短期留学の説明会。
私はオーストラリアの写真に一目惚れしました。



写真に写っていたのは、
豊富な緑と、どこまでも広がる土地と空。


ここに行きたい!


その写真の何に惹かれたのかは説明できない
感覚でしたが、
一瞬で好きになっていました。
 


私はその場でメモに
当時始めたばかりのアルバイトの時給と
毎月貯金できるであろう金額予想×12ヶ月の
計算をしていました。


母子家庭の我が家に、お金はありません。
私は自分で費用を貯めていくことを
すぐに決めました。


いける。
支払いが1年後なら、なんとかなる。

説明会の教室を出る時には、
先生に支払いをいつまでにすればいいのか確認していました。

当時、高校1年生の5月。
短期留学の日程は高校2年生の夏休みに2週間。



支払いは来年の春くらいで大丈夫と確認ができ
私は心の中で歓喜してガッツポーズ。


家に帰って母親に
「自分でアルバイトでお金を貯めていくから、
オーストラリアの短期留学に行きたい」と話し
了承を得ました。


1年2ヶ月のアルバイトを経て
私は高校2年生の夏。
オーストラリア短期留学に行くことができました。


アルバイトの時の話はこちら

目次

オーストラリア短期留学|ホームステイ先のToodyay(トゥージェイ)へ

短期留学の場所は
オーストラリアのパースから車で1時間ほど行った先にある
Toodyay(トゥージェイ)という田舎町。

一番左下の方の赤いマークがパース

赤く囲われているのがホームステイ先のToodyay(トゥージェイ)

少しうろ覚えですが、飛行機で日本から約12時間。長旅でした。

 


学校のプログラムで行ったので
1年前から放課後
オーストラリアの文化の勉強や
英語の勉強、向こうで教える折り紙の練習まで
いろんな準備をしてきました。

ホームステイ先の家族と手紙のやり取りもし
気持ちは高鳴ります。

お世話になったホストファミリー。右はお母さんのMum(マム)のサラ。真ん中の女の子はキャシー(9歳)。男性と赤ちゃんは友人。

私がお世話になったホストファミリーは
私と同じ、母子家庭のお家。


お家でホストファミリーとはじめに交わした会話は
我が家はお父さんがいないんだ、と
少し寂しそうな笑顔での自己紹介。

私も同じ。
そう答えました。

どうやってホストファミリーが決まったのかは
分からなかったのですが
もしかして、この家族は同じ境遇だったから
私を迎え入れてくれたのかも?


特に子供のキャシーとは同じ境遇もあってか
すぐに打ち解けて仲良しに。
 


写真で見た彼女はすごく大人びて見えましたが、
年相応の可愛い女の子でした。



ホームステイ先のお家は、
隣の家が見えないくらいの大自然の中。
 

私が一目惚れした
大きく広がる自然と大地、空が見えました。
 

びっくりしたのは、
家の目の前にカンガルーの巣があったこと。

カ、カンガルーって
あんな盗賊の住処のような岩山に住んでるの!?
目で見える距離に家があるけど大丈夫なの?と
驚きました。


一匹、二匹どころではなく
数十匹にも及ぶ野性のカンガルー。


野性の羊達も、
メーメー言いながら集団で移動。


これが、オーストラリア。
私はもう何に驚いたらいいかわかりません。

こんなに羊がいたら、触れるかなと
ひつじの群れを追いかけたのですが
羊はメーメーと声を上げながらすごいスピードで移動。
全く追いつけませんでした。


羊って、足早いんだ。


オーストラリアに来て
初めての発見でした。

そんな大自然の中なので
夜は星が驚くほどよく見えました。



肉眼で天の川を見たのは
人生で初めてで
感動して、寒くても外にいてずっと星を見ていました。


あー寒い寒い!と
凍える動作でマムはすぐさまおうちに入り

「何してるの?早くおうち入りなさい」と
呼ばれました。


ここに住む人にとっては
こんなに綺麗な星空が当たり前なんだ。


今でもこの星空以上に綺麗な星を
私は見たことがありません。


私はマムに呼ばれてもしばらく星を見ていました。


滞在して数日経ったある日の朝、
キャシーが私をお気に入りの
場所に連れて行ってくれました。

家の裏の小さな山道を登ると
大きな岩があり、
そこに腰掛けると
お家全体と景色が見渡せました。

背中合わせで私とキャシーは岩に座り
しばらくぼんやり。


2人とも何も喋らない時間が続いたけれど
全く苦に感じない時間。

その時ふいに。
彼女の寂しさが背中から伝わってきました。
 


片親の寂しさをお互いが知っている。
その、抱えた寂しさを
同じものを持ってるもの同士だから
理解できた気がしました。
 



言葉は何も交わさなかったけれど
私たちはその数分間で確かに分かり合いました。

 

天真爛漫に笑うキャシーを
妹のように思うようになり
残りの日数を過ごしました。

お家で一緒に暮らしていたポニー。馬が大好きなキャシーの将来の夢はホースライダー!と教えてくれました。


オーストラリアの学校生活

一緒に行った学校の生徒は10数人ほどと英語の先生2人。
現地での案内役のダイアン。
学校ではいつも行動を共にしました。


平日はオーストラリアの学校に
それぞれのホームステイ先から一緒に通い
土日はそれぞれの家族と過ごす。

土日は
日本語を使うタイミングがあまりありません。

自然が街の中でも多い。

学校では日本語の授業があり
私たちはお互いの文化を知ろうと
それぞれの国の料理を一緒に作ったり
折り紙を教えたりして過ごしました。

日本で教わったカンガルーの折り方は難易度が高くて
誰も覚えられず
私は担当したテーブルで
「ヒューマン(やっこさん)、フラワー(アサガオ)、エアプレイン(紙飛行機)
チョイス!(どれがいい?」と


小さな子供たちに聞くと、男の子には紙飛行機が人気で
笑って楽しそうに飛ばしていました。 

上手く折れない。紙が切れてしまった。
うっと泣きそうな女の子もいましたが
大丈夫だよ!と言いながら、やっこさんが折れた時は
満面の笑み。

付き添いのダイアンに
「グットティーチャー!」と
褒められたのは、嬉しかったです。



学校の他にも、いろんな場所に
連れて行ってもらいました。




特に印象深かったのは、自然公園で
案内してくれたブライアン。


楽しくて、強烈なガイドでした。

「皆さーん!ここから先に行った後は
出てきた時に指の数を確認してくださーい!」



満面の笑顔。


日本語でガイドしてくれているのが
楽しいけど余計に怖い!

私たちは森の公園を歩きブライアンについて行くしかありません。
細い木が何本も続く道で

「皆さーん。木の上をよーく見てくださいーい。
コアラがいまーす!」



コアラ!?

私たちは期待に胸を膨らませ
え、どこ?どこ?としばらく
木の上をキョロキョロしながら探します。



その数秒後にブライアンは言いました。

「ウソでーす」

背中越しで見えなかったけれど、
絶対に満面の笑みです。


よく考えたら、あんな細い木にコアラが
いるはずが無い事なんて分かるのに。
私たちは悔しいけれど、翻弄されました。
完全にブライアンのペースです。
 

結果、その後に会えたコアラ、
ウォンバット、エミュー、アルパカ、カンガルーよりも。
印象に残っている生き物はブライアンでした。


別の日に訪れたのは地元の老人ホーム。
一緒にゲームをして交流した後に
お茶をご馳走になりました。
  



緊張しながら英語で
一緒に過ごせた事のお礼を伝えました。
 



頑張って勉強したとはいえ
カタコトの英語。
緊張で何を喋ったか覚えていません。


帰り際に、
綺麗な白髪に真っ赤な口紅をさしたおばあちゃんから
ぶっちゅーーーーとほっぺに熱烈なキス。

わあ、海外って感じがする。

みんな笑顔でバスに乗る私たちを見送ってくれました。

 

その後、
・羊の毛刈りを目の前で見学
・ラベンダー畑を訪問
・オーストラリアの人が大好きな
アイスクリームの工場を見学
・大自然の中で小麦粉を丸めただけのパンを焼いて食べる
・カンガルー、エミュー、ラクダなど動物との触れ合いと見学
盛りだくさんでした。


学校にも行きながらなので
あっという間に日々は過ぎて行きます。


最終日が近づく頃には、
みんなオーストラリアから帰りたくなくなっていました。


お家の外から撮った景色。

怖がって誰も餌やりに参加しなかったエミューのエサやり。手のひらのお肉ごとついばむ勢いで食べていた。
全く怖がらずに近づいていた私。この時あだ名が女性のムツゴロウさんになった。

鳥の距離がゼロ距離。写真撮られ慣れていない表情に困った私。

見たこともない木の実。娘のあかりが見たら喜ぶだろうな。

オーストラリアで感じた日本との違いと、同じだったこと

雨が少なく、
お風呂に入る時間が1人5分くらいと短いのが印象的で
雨はスコールのようにすぐ降っても止んでしまいます。

 

日本が夏の時、オーストラリアは冬。
 


自然が多いからか
バーベキューをすることが多かったのですが、
お肉や野菜をがっつり焼く!というのではなく
ソーセージを焼いてパンに挟んで食べる。
そんなバーベキューです。

 


お米を食べるお家もあるけれど
しっかり柔らかく炊く過程と
半生で芯が残るくらいに炊く過程が半々。

 

私のホームステイ先は半生でした。
半生ライスに、野菜とお肉の細切れ炒めが乗った
お料理を食べる時
 


「日本人はお箸使うんでしょ?」と

お箸を差し出されましたが、シャバシャバすぎて掴みづらかったですが
お箸で食べることを期待されている感じがして
スプーンくださいが言い出せず、
頑張ってお箸で完食しました。
 

偶然にも
ホームステイ先では親戚の子供のお誕生日で
パーティーが開かれました。
(もしかしたら、滞在中にあえて開催してくれたのかも) 



ハッピバースデーの曲が終わって
ローソクの火が消えると
子供達が一斉に
「きゃーーーーーーーーーーーーーー!!」と
大歓声。

本当に叫ぶんだ。映画の中でしか見たことないよと
びっくり。

その後、集まったメンバーの中にいた
マダム2人に、日本について色々質問されました。

英語で全部は聞き取れないものの
なんとなく口調は日本のおばちゃんと変わりませんでした。

「ねーねー?日本のこれってほんとのあの?
これってなに?」



色々質問してくれる中で
おばちゃんという生き物は世界共通なのかもしれないと
感じました。

言葉が通じないかもと
緊張していたのがバカらしく感じるほど
同じ人間なんだなと感じさせてもらえた出来事です。


私は日本から
浅草で買った扇子、紙風船などをお土産に持っていきました。


インスタント味噌汁も持って行ったのですが
泥水のように見えたようで
どちらかといえば不評。

学校で作ったお好み焼きは、
みんな喜んで食べてくれていました。

オーストラリア最終日と前夜

みんなで通った学校で
最終日は浴衣を着ながらお別れ会。

 

お別れ会が終わったら
すぐさまマムが
「さあ、急いで!行くわよ!」と足早に車へ。

学校でのお別れ会。マムとキャシーと。「ママ美人だね!」ど同級生に言われて私がなんだか嬉しかった。

車でどこに行くのかも分からず。
浴衣から服に着替える隙もありませんでした。

そして到着すると。
一緒に過ごしたメンバーがお別れ会のバーベキューの
準備をして待っててくれたのです。


浴衣で寒かったけれど、気持ちがそれ以上にあったまる素敵な食事会。

マムはみんなに私のことを
「日本の、私の娘」と紹介してくれて
すごく嬉しかったです。

その夜は、
2週間家族として過ごした日々を思い出しました。

夕飯の後に観たサバイバーのテレビ番組。

お誕生会の時にみんなで見たディズニー映画。

食後に食べたアイスクリーム。

パンと、テーブルにある小さいリンゴをかじる朝ごはん。 



マムが学校に行く時に作ってくれたチーズが挟まったパンに、
青いヨーグルト、殻付きのピーナッツ、
ベトベトの甘いヌガーのようなお菓子が入ったお弁当。

部屋でキャシーとお絵描きして、
私にピタッと寄りかかりながら嬉しそうに
その絵を眺めていたキャシーの体温と横顔。

家族が連れて行ってくれた動物園や
週末にのんびりサンドイッチを食べた自然公園。

お家で飼っていたポニーと一匹の羊の姿。



運転中に車の前に飛び出してきたカンガルーと
お家の猫。



車の中で羊が道から移動するのを待った時間。



マムの結婚式時の幸せな瞬間のビデオをみんなで見た時間。

気づいたら、
よその家にホームステイした思い出というより
家族の思い出になっていました。

あの時確かに、私は家族の一員にしてもらっていました。


そして翌朝。
なんだか不思議なことがありました。

帰る日って、
お別れの空気感が滲むんでしょうか。
普段はいない鳥が家の軒先に泊まって並んでこちらを見ていたり

普段はバラバラに動いて
ちっとも一緒に写真を撮らせてくれなかったお家の羊とポニーが
二匹並んでじっとこちらを見ていたんです。

この日の朝の感覚は、
今でも覚えています。

家族で学校に向かい
学校から出るバスにみんな乗って
空港のある街に向かいます。

本当にお別れの時間です。



学校ではそれぞれが家族との別れを惜しみ
キャシーは私がバスに乗るギリギリまで
私にくっついていました。

そして、学校の生徒の小さい子が
私にプレゼントをくれました。
ねんどで作ったてんとう虫。

私が折り紙を教えたテーブルに
いた女の子。
お別れの日に間に合うように作ってくれていたようです。

他の子ももらっているのかと
思ったら、私だけ。
短期間で、こんなに慕ってくれたことに
感動しました。
今でも宝物にしてます。


バスに乗って、みんなとさよならした時。
窓の外に目を向けると
ギリギリまで笑顔だったキャシーが
笑いながら泣いていました。

キャシーが泣いてる。

私はすぐに駆け寄ってハグしてあげたかったけど
もうバスは動き出していました。

バスの中はしばらく、
お別れの余韻で寂しい空気が流れました。


バスで1時間。
Toodyay(トゥージェイ)からパースの街に到着する頃には
寂しさは残るものの、
近くの海の砂浜ではしゃいだり
パースの街を散策したりして
飛行機の時間を待ちました。

のんびりとした時間が流れる街。みんないい人ばかりでした。


飛行機に乗った時には夜。
翌朝には日本に到着。
私たちは日本の日常に戻りました。



日本に帰った後も、
オーストラリアの家族とは
何度かやりとりをしました。

マムからの手紙には
家族の大切な話が書いてありました。

母子家庭になった理由です。

マムはオーストラリアのホスピスで働いていて
そのホスピスに自分の旦那さんが入院してきたこと。
自分の旦那さんを見送ったこと。

どれほど辛かっただろう。
私は、マムが私が家族だから
話してくれたんだなと感じました。

そして二度目の手紙くらいだったと思います。
キャシーから
興奮で読めないくらいの字で書かれた手紙が届いたんです。

「ねえ!ジムって覚えてる?お家に来てくれてた人!
この前驚くことが起こったの!!
ジムがね、ママにプロポーズしたんだよ!!!」 



ジムは、マムからは友人と紹介されていた薬学者の男性で
私に日本とオーストラリアの緯度と経度の違いを英語で教えてくれた男性。
動物園にも一緒に連れてってくれて、キャシーのこともすごく大切に
可愛がっていました。

私まで、嬉しくなる手紙。



そしてマムからは
結婚するから引っ越しをするけれど
あなたの部屋は用意しておくから、いつでも来てねという手紙が
ありました。
 



今でも。
オーストラリアの家族は元気かなと
時々思い出します。


出会った時のキャシーの年齢と
今のあかりが同じくらい。


いつかまた、日本の家族とオーストラリアに行きたいです。


今も部屋に飾ってあるもらった、粘土のてんとう虫。

ーーーーーーーーーーーー ☕️ ーーーーーーーーーーーー


ご感想やひとことメッセージは、
「ご感想・お問い合わせ」ページからお気軽にどうぞ ☕️

InstagramのDMでも受け取っています。

吉田優子(ナンシー)

コメント

コメント一覧 (1件)

コメントする

目次